千石嵓（ぐら）の天地を結ぶ一筋の大断層は、まさしく天より授かる豊穣の光、『赤い稲妻』であった。
まだクライミングというものを知らなかった1998年始めて千石ぐらの大ルンゼの上から谷底を覗き込んだ時は、あまりの恐怖に這いずる様に逃げ帰ったが、翌年人口壁に接する機会が訪れ一通りの技術を覚えた後、2001年今のサンダーボルトの基部に立った時その恐怖もすっかり消えていた。 何とかこの300Ｍの大岩壁を登れないかという思いが日々増して行った。 とり憑かれた様に何回となく通い、滝見尾根の古木のてっぺんに登って見た中央稜（中央ルンデの右の稜線を勝手にそう呼んでいる）に走る、縦の大断層に目がクギづけになった。
とうてい登れそうにない垂壁に唯一すじの光明だったが、基部には数本の人工ルートがあり、既に開拓されている可能性が高いので最上部の調査を始めた。 不思議な事に人工で頂上まで抜けたリングボルトやハーケンなどは一箇所も見つからなかった。 人工ルートはすべて中央ルンデのブッシュに消えるのだろうか？。 中央稜の最頂部に現在の終了点にうってつけのテラスを見つけ、トラバースぎみに下降して今のＴ8に着いてみると、そこが断層の頂部で、リングボルトやハーケンなどの人の訪れた形跡がまったく無く、人跡未踏の確信を得た。 と同時に人生５０半ばにして漸く巡り会えた天命と己惚れる事となる。
たとえ何年かかろうともこの大岩壁に単独でルートを作ろうと決心した時、悠久の聖域を汚す大それた挑戦に下されるであろう鉄槌の畏怖から逃れる為、俄か修験者となり手打ちによるドリリングで基部より細々とルートの制作にかかったが、余りの岩の硬さに安物のハンマーがすぐに割れてしまった。 白浜で使っていたドリルの刃先など一箇所も穿けないうちに砕けた。 それだけにこんな安心できる岩はない。
そして何とか今の3Ｐまで来たときに予期せぬつまづきに遭う。 唯一登れそうなコーナーに、リングボルトの人工ルートが突然現れたのだ。 小生の中では既存ルートとの重複は犯すことのできない禁じ手である。 こんな所で敗退か！？ このルートは少し上で行き止まっていたが悩んだ末、下降ぎみにルートをクロスさせる事で一応の折り合いをつけた。
3Ｐの後半で行き詰まり工事を中断、止む無く最上部からのルート作りとなるが、手打ち作業の疲労を引きずっての登り返しや下降、何より単独の不安で度々挫折しそうになり自戒の念から、成就できるなら “樹はいっさい切らないし、大岩壁におこがましく名前など付けません” などの誓いを立ててしまった。 姑息にも千石嵓での永い孤独と恐怖を、そうする事でしか克服できなかったのだ。 しかるに、ルートが完成したとたん己を偽りその誓いを破ってしまった時、みずから戒の十字架を背負う宿命が待っていた。 単独登攀にもほんの少しだけ斟酌の願いを込めていたのかも知れないが、これに遠い禊の旅の始まりを予感した。
夕陽の衛兵