維盛が逃亡中この地で4・5年を凄し二児を儲け、一子は色川氏、二子は清水(上裏)家を継いだと言われ、その後裔が南朝で活躍したという。
平家の落人
墓石は地中深く
眠っているのであろうか?
紀州那智沖の山成島で偽装入水する維盛
維盛の落胤
那智
この地区はずれにも後年出来たと想われる垣内があるが、其処にも古い墓がなく尋ねると、この辺りは鉱山師が多く流れ込んだため多くが入れ替わってしまったのではないかと仰った。 家紋の無い墓や屋号を彫った墓ばかりなのが頷けた。
2008年 夕陽の衛兵
階段の脇は馬小屋か?
下流側には石積みの防護壁が
めぐらされている
華やかな伝説だが鎌倉期の
墓が無いのが寂しい。
維盛の落胤が継いだといわれる色川姓は茨城に多くみられ、下の書き物との整合性が何とも心地よい。
この看板にある高川原家は、維盛が4.5年過した色川郷も最早安住の地で無くなり、逃亡した先の縁で、ここでも一子を儲けたが、頼朝の詮索の手が緩まず、この後も逃亡を続ける事となる。