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2002 サンダーボルト雪の初登

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サンダーボルトにアプローチする松下さん

2002年11月11日、見上げる大台の空に星が冷たく瞬いていた。 未明のスカイラインを登るにつれて路肩の雪が深くなる。 助手席では松下さんがコックリコックリ。 ノーマルタイヤでスリップしては行きつ戻りつ何とか駐車場に着いたが積雪10cm、敗退した11月3日より雪が多い。 

前回は壁が凍てつき所々つららがぶら下がっていて天気も回復せず、あえなく敗退したがリベンジを願う松下さんに気を良くした僕は天気予報と首っぴきで今年最後のチャンスとばかりやってきた。 昨年の今頃は暖かくてボルト打ち作業には最適だったが今年は雪が早かった。

予報では紀伊半島総て0%のお天気マークだったので多分テラスの雪も解けるだろう。 雪のアプローチも苦にならなかったが千石尾根のコルから下は所々尻セード状態で やっと壁の基部にたどり着く。

1ピッチ目の出だしは足元が凍っていた。  T1 (1P終了点のテラス)に着いた時には雪が解け初めて最悪の状態だったが予想どうり壁は乾いていて暖かかった。 タオルでソールを拭きながら登る。 T3 (3P終了点のテラス)に着いたら昼前になっていた。 残り7ピッチ!やばいぞ! 敗退も考えたが松下さんは「モチをあげて頑張る!」と完登するつもりだ。 

何て女(ひと)だ! エーイ! こうなったらやけくそとばかり高見盛関のごとく自分の頬を叩いて核心へ!松下さんも大奮闘!さすがは谷川岳の滝沢スラブとやらを途中2ビバークして登った松下氏の奥さんだ!宙ぶらりんで夜明かしなどヘッチャラなのかも知れない。 松下さんは途中一度落ちたが怪我も無く夕暮れ前には終了点に着いた。 

長い一日だった。 この時の感激は前年、雪稜研究会の坂本氏と二人、彼とは初めての本チャンなのにシングルロープで退路を断ち穂高の屏風雲稜を登った時以上のものだった。 この前日、横尾の小屋で雲稜ルートから帰ってきた松下さん夫妻と偶然同室する事となり、頂いたアドバイスがどれ程有難かったか・・・。 小屋の泊り客にさんざんビビらされた後だったので、まさに地獄で仏だった。

今回、それにもまして嬉しくて思わず握手を求めた鋼鉄の女史の手は意外とキャシャで柔らかく折れそうだったのでつい「可愛そう!」と口走ってしまった。やっぱり女性やったんやなあ (^_^)。  帰り道、千石尾根で振り返り見た大峰山の夕焼けがいつもに増して綺麗だった。
                                    
                                    
           夕陽の衛兵

3P

8P

10P

前年

穂高 屏風東壁雲稜ルート

T4にて

右の足の長い方が坂本氏

おいらのチョークバックは万年亜脱臼のせいです(^^;
 

2001年7月

そしてバカ調子に乗りまくったオイラは、帰るなり千石グラに通い初め
          
    サンダーボルトにのめりこむ事になりました